今日は,こちらに来て初めて研究活動とも言える行動で1日を費やすことができた。
それは,サンフランシスコ市内にある「Japan Town(日本町)」への(再)訪問である。
目的は2つ。「日本町(ニホンマチ)」に残されている建物を直接,写真に収めること,もう一つは,このジャパン・タウンにある「Japanese American History Archives」(日系アメリカ人歴史資料館」)と,「National Japanese American Historical Society」(全国日系アメリカ人歴史協会とでも訳しておこう) を訪問し,どんなところか内部を見ることであった。

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(サンフランシスコ・ジャパンタウンの中心地)

「日本町」(ジャパン・タウン)とは,日本人が移民としてアメリカに渡り,集住することで形成された特定地域を指す。中国人のチャイナ・タウンは有名だ。しかし,アジア人だけではない。19世紀末から世紀転換期にかけてアメリカに渡ったイタリア人,ギリシャ人など南欧・スラブ系をはじめ多数の国籍の膨大な労働移民たちは,例外なく特定地域に集住した。

アメリカの1924年移民法(いわゆる「排日移民法」)以前,日本からアメリカに移民として渡った日本人は,数十万人にのぼる。したがって,ジャパン・タウンは,西海岸のあらゆる地域において存在し,カリフォルニア州だけでも数百存在したと言われている。しかし,ジャパン・タウンは1942年2月19日の「大統領令9066号」による日本人(日系アメリカ人ではない。戦前,日本人は帰化が認められず,アメリカ生まれ2世でない限り,国籍は日本人であった)の強制収容によって,ほとんど崩壊した。したがって,今日のジャパン・タウンの様相は,第二次大戦後に作られたものである。

今日のジャパン・タウンがどのように形成され,保存されてきたかは,別の研究テーマに属する。今回は,戦前のジャパン・タウンの痕跡について見たいという思いで訪問した。1日で全部を見ることは不可能なので,とりあえず,ジャパン・タウンのマップに載っている代表的な建物を総て写真収めてきた。

この間,ジャパン・タウンに関する論文をチラチラ読んでいるなかで,サンフランシスコでは,2005~06年ごろから特定の研究者によってジャパン・タウンの調査活動が勢力的に進められてきたことがわかった。それはかなりの膨大な調査のようであり,マップづくりに結実している。例えば,カリフォルニア大学パークレー校があるDowntown Berkeley地域においても,たくさんの日本人・日系アメリカ人のビジネスの痕跡があり,それらが1つ1とつ地図(Berkeley Japanese American Businesses of 1940)に収められている。しかも,多くの建物が今日においても現存している。

今度,1つ1つ実際に訪ねてみようと思う。